『財務省が日本を滅ぼす』(1997年はデフレ元年)

雲



財務省は国の予算を司っている省庁の中の省庁。他の省庁が財務省の意向に逆らえば、予算がつかなかったり、削減されたりしてしまいます。

家庭に例えれば子どもにお小遣いをあげる親、家計の紐を握る強い奥様といった感じでしょうか。とにかく、予算を握っているのですからその権力たるや凄まじい。

ところで、1997年という年は消費増税(3%から5%)で国民の消費意欲を失わせたのみならず、ありとあらゆる緊縮財政が始まったまさにデフレ元年といっても過言ではないでしょう。

1997年から緊縮財政が本格化

1997年12月、国会では財政構造改革法が可決しました。

その具体的な内容を見ていけば、日本が今なぜ未だにデフレから脱却できない理由がわかろうというものです。

具体的な法律の内容(主なもの)

・財政赤字対GDP比を、毎年3%未満にする

・98年度の公共投資関係費について、97年度当初予算の93%を上回らないようにする。99年度、00年度については、前年度の当初予算を下回るようにする

・防衛費の額が、前年度の当初予算を上回らないようにする

・中小企業対策費の額が、前年度の当初予算を上回らないようにする。

・地方への補助金等の各省庁の所管ごとの合算額、前年度の当初予算の90%を上回らないようにする

など。

まさにマイナスシーリングのオンパレードです。

財政赤字対GDP比を、毎年3%未満にすることなど、単にEUの猿真似。EUがやってるから日本も見習えといわんばかりの発想でした。

日本の悲劇はバブル崩壊後にインフレ抑制型の政策を採ったことです。

1997年以降の状況

財政構造改革法は見事?にその成果を発揮し、日本の公共事業は1990年代後半から急速かつ継続的に減少しました。

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(出所:社会実情データ図録)

また、以前も掲載しましたが、1997年を境にGDPデフレーターは16年連続で前年割れで、国民は困窮し、自殺者が毎年3万人を超えるという苦難の時代が続きました。

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そして現在、多少良くなったとはいえ、未だデフレからの脱却はできていません。

バブル崩壊で、不況に陥っているときに、消費増税をしたうえで、公的支出を絞り込むという超愚策が行われたのが1997年でした。

ときの首相は今は無き橋本龍太郎氏。橋本氏が悪いというより大蔵省に見事に洗脳されたというのが実態でしょう。ときの大蔵省は今の財務省よりもさらに強力な組織でした。のちに、橋本氏は自身の公式ホームページで財政再建を急ぐあまり経済の実態を十分に把握しないまま消費税増税に踏み切り、結果として不況に陥らせたことを謝罪しています。

橋本氏は生前「私は平成9年から10年にかけて緊縮財政をやり、国民に迷惑をかけた。私の友人も自殺した。本当に国民に申し訳なかった。これを深くお詫びしたい」「財政再建のタイミングを早まって経済低迷をもたらした」との自責の念も示しています。

1997年頃はまだインターネットの普及も進んでおらず、多様な意見が飛び交うようなインフラはありませんでしたから多少は同情すべき点もあります。

2019年の愚策

今、労働者の賃金は残業規制で減少しています。実質賃金のみならず、名目賃金までもがマイナスになる始末です。収入が減っている中で、消費増税をしようというのですから、まさに様相は1997年とそっくりです。

2019年は第2のデフレ元年になると思います。

つづく。

(本記事は三橋氏の著書を参考に、小生の見解や意見、調査を加えごちゃ混ぜになっております。あしからずご了承ください。)

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